『ダナエ』は、オーストラリアの画家グスタフ・クリムトが1907年から1908年にかけて描いた、恍惚な柔らかさが伝わる油絵です。
77×83cmのキャンパスにギリシャ神話をテーマに描かれ、クリムトのダナエは黄金の雨に姿を変えたゼウスを、女性の太もも間に金貨が混じった状態で表現されています。
現在はオーストリアのウィーンのヴュルトレ画廊に所蔵されています。
グスタフ・クリムトについて
グスタフ・クリムトは、1862年にウィーンのペンツィングに生まれました。クリムトの父エルンストは、ボエミア出身の彫刻師で、母アンナは地元ウィーン出身、7人兄弟の第2子でした。1876年に博物館付属工芸学校に入学しました。工芸学校でクリムトは、石膏像のデッサンや古典作品の模写を中心とした古典主義的な教育を受けました。
中略
クリムトの家には、大勢の女性が寝泊りしていたといわれています。何人もの女性をモデルに油彩画を描き、多くのモデルと愛人関係にありました。有名な愛人はエミーリエ・フレーゲです。結婚は生涯しませんでしたが、最期の言葉も「エミーリエを呼んでくれ」でした。
引用:グスタフ・クリムト(Wikipedia)より
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ダナエはギリシア神話アルゴス王女の名前
モデルは、エミーレ・フレーゲに続いてよくモデルにされている“赤毛のヒルダ(Red Hilda)”という女性です。
彼女の詳細については分かっていません。
ダナエはギリシア神話に登場するアルゴスの王女の名前で、多くの芸術家たちの主題として扱われています。
ダナエは愛の神の代表的なシンボルとして描かれることが多いです。
ギリシア神話のダナエは父のアルゴス王の命令で、男を近づかせないように青銅の塔に幽閉されていました。
そこにゼウスが黄金の雨に姿を変えて幽閉されたダナエのもとへ訪れ、ダナエと関係を持ち息子ペルセウスを産んだといわれています。
クリムトの思想を垣間みることができるダナエ
クリムトの描いたダナエから思想を垣間みることができます。
一般的にダナエを主題とした絵画は、窓や上方から金貨のように降り注ぐように描かれ、太ももの間には描いていません。
クリムトのダナエには、黄金の雨に姿を変えたゼウスを女性の太もも間に、黄金の粒子と金貨が混じった状態で表現されています。
そこからクリムトの思想がうかがえます。
豪奢で高貴な紫のヴェールに包まれていることから、彼女は高貴な血統の女性であると思われます。
そのヴェール内で丸く曲がっていることから父(アルゴス王)によって幽閉されていることを暗喩しています。
紫色は日本古来でも高雅な色とされ、高貴な身分の着物の色に使われていました。
かかとにストールがかかっていることや、左手の位置から自慰行為ではないかという指摘もあり、黄金の雨はダナエの妄想であるという説もあります。
ダナエの頬は紅潮し愛のエクスタシーの瞬間が表現され、恍惚な柔らかくあたたかい絵になっています。
クリムトが絵画に金を多用する理由
クリムトが絵画に金をつかったのは、父が金細工師だったということもあります。
また、1873年に開催されたウィーン万博で、クリムトは日本の金屏風や蒔絵を見て、日本の影響を多く受けたともいわれています。
日本を代表する画家東山魁夷は、ドイツへ留学し多くの絵画の影響を受けています。
晩年の作品には金粉がつかわれていることも似ていますね。
とても人気のある接吻は、クリムト自身とその恋人のエミーリエ・フレーゲをモデルに描いた作品です。
男性はクリムト自身で、服の黒と白の模様は日本の市松模様を参考にして描いたとされています。
クリムトは、ウィーン分離派に参加するなど、独自の作風を追求しました。
官能的な表現にウィーン美術界の風当たりは強く、困難を強いられた結果、公的な仕事を一切受けなくなりますが、クリムトの名声は高く、彼は多くの富裕層のパトロンを持つことに成功します。
黄金様式と呼ばれる、金箔を多用した富裕層向けの注文肖像画を多数手掛け、画家としての価値を高めていきました。
この時代がクリムトの黄金時代です。
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クリムトの絵画はなぜ女性の心を魅了するのか?
クリムト最高傑作といわれる『接吻』は究極の愛といわれています。
クリムトの作品は、愛や性、官能、生と死が特に女性を通して表現されています。
2019年のクリムト展で、クリムトは「自分には絵心がない、女性にしか興味がない」と説明しています。
クリムトは男性が外から観ることしかできない女性の感情、そこから生まれる表情の描写がとても繊細なので、いつの世代も女性の心を魅了し続ける絵画になっていると感じます。
知れば知るほどクリムトの描いた絵画は魅力があります。
オーストラリアウィーンのベルヴェデーレ宮殿などに展示され、日本でも展覧会があるのでぜひ観ておきたい作品です。
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